Essay
リスクは『正しく』転嫁しよう
冷徹に考えた。
サンデードライバーは、クルマを捨ててタクシーに乗ろう。
これは維持費がどうとか、駐車場代がどうとかいう話ではない。カーシェアと比較して年間いくら得をする、という話でもない。
リスクの話である。
道を歩いていると、クルマに轢かれることがある。
そこでクルマに乗る。
これで僕は、轢かれる側から轢く側へ移動できる。歩行者だった僕の身体は、鉄の箱に包まれる。代わりに、道を歩いている誰かが鉄の箱の外側に残る。
まず、轢かれるリスクを歩行者へ移す。
しかし、自分で運転していては、今度は轢くリスクを抱えることになる。
事故を起こせば、警察が来る。免許に何かが起きる。場合によっては裁判にもなる。相手が怪我をしたとか、後遺症が残ったとか、そういうことをずっと考えながら生きる可能性もある。
これは困る。
そこでタクシーに乗る。
僕は後部座席へ移動し、運転席には別の人が座る。
これで、轢くリスクも運転手へ移る。
つまりタクシーとは、歩行者から奪った安全を車内で受け取り、その車を動かす責任については運転手へ渡す乗り物なのだ。
なかなかよくできている。
歩行者には特に何も払わない。
運転手には運賃を払う。
同じリスクの転嫁でも、契約の内側にいる人にはお金が支払われ、たまたま横断歩道を渡っている人には何も支払われない。歩行者は領収書も出さないし、アプリに星を付けることもない。
もちろん、僕が一度タクシーに乗ったからといって、ただちに道路へクルマが一台増えるとは限らない。
すでに街を流している空車を捕まえただけなら、そのタクシーは僕がいなくても、どこかを走っていたかもしれない。
この場合、僕は既存の危険へ相乗りしただけとも言える。
だが、僕がクルマを捨て、移動するたびにタクシーへ乗るようになったら、少し話が変わる。
毎週乗る。雨が降ったら乗る。荷物があったら乗る。歩いて十分のところへも乗る。
そういう人間が増えれば、タクシー会社は車両を出す。運転手を配置する。僕を乗せる前にも走り、僕を降ろしたあとにも次の客を探して走る。
長い目で見れば、僕はそれなりに純度の高いタクシー需要である。
自分で運転する場合、クルマは目的地までの距離だけ走る。
タクシーの場合、僕を迎えに来る距離と、僕を降ろしたあとの空車走行まで付いてくる。
もしかすると、自分でクルマを運転するより、道路上に生み出す走行距離は長いかもしれない。
より多くのクルマを走らせながら、自分ではハンドルを握らない。
ここまで来ると、かなり洗練されている。
ただし、すべてを転嫁できるわけではない。
タクシーが事故を起こしたとき、後部座席にいる僕も普通に巻き込まれる。乗客という立場は、事故の観客席ではない。
だからシートベルトは締める。
僕は後部座席で安全を確保し、運転手に目的地を告げ、道路上の誰かに少しだけ危険を負担してもらう。
そして到着したら、運転手には料金を払い、歩行者には何も告げずに建物へ入る。
冷徹に考えた解決策というのは、だいたい後部座席から景色を眺めている。