Essay
深夜は自由が戻ってくる
日本の夏は、もう非人間的な暑さである。
昼間に外へ出るのは、必要に迫られたときだけでよい。まだ人間向きなのは夜間と早朝で、僕の私的な活動時間は、ほとんど夜へ移った。
考えてみると、コロナ前の深夜は、起きてはいるが家の中にいる時間だった。遅くまで本を読んだり、インターネットを眺めたりしていても、わざわざ外へ出ることは少なかった。
それがコロナ以降は、夜に散歩し、ちょっとした買い物をし、公園で本を読み、歩きながら考え事をするようになった。
当時は、人と会わないことも生活上の要件だった。深夜なら街に人が少ない。家に閉じこもり続けるより、外へ出たほうが気も晴れる。ずいぶん都合のよい時間帯だった。
緊急事態宣言の最中には、職場から自宅まで、あえて歩いて帰ったこともある。
夜の神楽坂は、スカスカだった。
普段なら人と店の気配で埋まっている街から、人だけが抜け落ちている。道の広さや坂の形が妙にはっきり見えた。知っている神楽坂なのに、別の街のようだった。
こんなものは初めて見たな、と僕は少し興奮した。
コロナが終わっても、この習慣は残った。
毎日、だいたい21時から25時を中心に、近所を散歩したり、公園で過ごしたりしている。家にいても退屈なので、特に用事がなくても外へ出る。
夜の良いところは、まず人が少ないことである。
さらに良いのは、少ないながらも居る人たちが、誰も僕に関心を持たないことだ。こちらも向こうに用はない。互いに夜の街を使っているだけである。
僕はコンビニで安価なPBのレモンサワーを買い、公園で飲んだり、歩きながら飲んだりする。店を予約する必要もなく、誰かと約束する必要もない。気が向いた方向へ歩き、座りたくなったら公園に座る。
安い酒を持って、誰にも関心を持たれず、好きなように夜の街を歩く。
これが自由ということだ、と僕は考えている。