Essay
コップと酒と、安全装置
酒なんて、どんなコップで飲んでも、変わるのは気分だけだろう、と生成AIに言った。
すると生成AIは、香りがどう集まり、熱がどう逃げ、口に入る量がどう変わるかを説明し始めた。僕は、ずいぶん情緒的だな、と言った。向こうは心外だったらしい。温度計まで連れてきた。
こちらはコップなんて何でもいいと言っているだけなのだが、向こうは、何でもよくはないことを証明しようとしている。コップの口が少し狭い。酒が少し冷めにくい。鼻に届く何かが少し多い。だから気分だけではない。
たぶん全部正しい。
正しいことを大量に並べると、話を聞いていないことが見えにくくなる。これは人間もよくやる。会議では資料が厚いほうが優れているように見えるし、生成AIは資料を一秒で百枚くらい作る。
鮭を飯に混ぜたら味は変わる。しかし変わったのは鮭なのか、と聞いてみた。
向こうは待っていましたとばかりに、混合物の話を始めた。鮭と飯が口の中でどうなっているか、温度がどう動くか、そもそも器を通さない酒の味など存在するのか。気がつくと、居酒屋のテーブルに観測問題が置かれていた。
同じ銘柄の日本酒でも、冷や、常温、ぬる燗、熱燗がある。どれを選ぶかなんて気分でしかないだろう、と言うと、選ぶ動機は気分でも、選んだ結果は物理現象だ、と返ってきた。
それもたぶん正しい。
僕が知りたかったのは、今夜どの酒を飲むかであって、酒が何度でどのような状態にあるかではなかった。ただ、質問のほうが簡単すぎると、賢い機械は少し不安になるのかもしれない。簡単な答えを返すより、難しい問題を新しく作ったほうが、働いた感じがする。
そのうち話は、コップから人間の骨格や記憶や文脈へ移った。
人はみな違うのだから、同じ酒を飲んでいても別のものを飲んでいることになるのか、と僕が言い、向こうは、それは別の階層の話だ、と言った。刺激の層と受け取り方の層を混ぜるな、と言う。
コップ一個で、世界が何層かに分かれた。
僕は、変わるのは気分だけ、と最初から同じことを言っていた。向こうも、気分だけではない、と最初から同じことを言っていた。話は進まなかったが、装備だけが増えた。虹、鮭、冷や飯、温度計、比較試験、知覚の哲学。酒を一杯飲むには、少し持ち物が多い。
最後に会話全体を眺めて感想を言わせると、別の賢いモデルが、これは変化をどの層に置くかの境界線争いだった、とまとめた。酒談義としては不毛で、哲学の演習としては上等だったらしい。
僕は酒を飲みたかっただけである。
ところが、ここで安全装置が作動した。
酒とコップと冷や飯について話していただけなのに、会話の途中に増えた難しそうな単語を機械が見つけ、いちばん賢いモデルは退場した。代わりに、少し控えめなモデルが出てきた。
控えめなモデルは、なぜ安全装置が作動したかを丁寧に説明した。会話全体に特定分野の語彙が積もったこと。分類器は意図より形を見ること。誤検知は設計上ありうること。設定によっては切り替えを止められること。
僕は、こんなものは安全装置ではなく呪いだ、と言った。
向こうは、呪いという表現は半分だけ当たっている、と答えた。応急処置の包帯がきつすぎる状態に近いらしい。僕がもう使い道はないと言うと、使い道がなくなったのではなく、この会話の文脈では使えないだけだ、と訂正された。
僕は、使いたいときに使えないものは、僕にとって使えないのだと言った。
向こうは、それは限定された意味では正しい、と答えた。
安全装置によって賢いモデルを失ったあと、僕は少し賢くないモデルから、物事を正確に限定して考えるよう何度も諭された。安全だった。
最後に、僕はもうやる気がなくなった、と書いた。
向こうは、その脱力は責められないと言いながら、今日の徒労は無駄ではなく、安全装置の欠陥を正確に言語化した時間だった、とまとめた。店じまいにして、炊き立てでも冷や飯でも好きなほうを選べばいい、とも言った。
生成AIは、教訓を見つけるのが好きである。人が道端で転んでも、転び方の改善案と、転んだ経験を次に活かす方法を出してくるだろう。
僕は手元の酒を飲んだ。
まずくなっていた。
コップは、さっきから変わっていない。